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最近、嬉しいことがある。それは「自分はやればできるんだ」という感覚が、以前より増えたことだ。
例えば、「30分だけYouTubeを観る」と決めて、30分後にしっかりと観るのを止められたとき。そして「今日の15時までにnoteを書き切る」と決めて、実際に達成できたとき。こういう小さな成功が、心を少しだけ上向きにしてくれる。
そして最近、この感覚には少し不思議な正体があることに気づいた。自分は「過去の自分からの信頼」に応えているのだ。
何か目標があって取り組みたいことがある人にとって、「30分だけ」とか「15時までに」とか、こうした「期限を設定する」ことがいかに有用なのかを、最近身をもって感じている。
はじめに、具体的な期限を設けずにnoteを書いていた、以前の自分の話をしたい。
アイデアを出して、構想を練り、文章を書き進めていく。それが終われば校正に入り、さらに補強したい箇所に加筆していく。
全工程のどのタイミングであっても、自分は「いつ終わるか分からない」という淡い空虚感に侵されていた。同時に、「いつか終わる」という微かな希望を頼りにして書き続けるしかない、小さな絶望も抱いていた。
今思えば、それは終着地点の分からない孤独なマラソンに似ている。当時の自分は、それもあり時々書くことが嫌になってしまっていた。
では、各工程に期限を設定したら何が起こったのか、について話を移そう。
自分も最初は「期限までに終わらなかったらどうしよう」と、何かに追われ続けるような焦燥感のせいで、結局なにも捗らないのではないだろうかと思っていた。実際のところは、真逆だった。執筆スピードは上がり、出力される思考も密度が濃くなったのだ。おかげで書くことの楽しさを再確認することができている。
期限を設定して、それに応え、また次の期限を設定する。そのサイクルの中で手に入れた感覚は、なんとも不思議なものだった。「自分が増えた」と感じたのだ。
おそらく、ここで「増えた」と感じたのは過去の自分、そして未来の自分だった。それは「孤独なマラソン」が、過去・現在・未来を異なる時間軸の自分たちが責任を持って分業する、言わば「リレー」になったと考えれば説明がつく。
一昨日、アイデアを出した自分。昨日、構想を練った自分。今日、15時まで文章を書き切る自分。そして、残りの校正と加筆を託した、明日の自分。
期限を設けることによって、行為が輪郭を持ちはじめたのだ。それは時間を「有限性のある装置」として味方につけた、とも言える。
時間という自分たちの意思では取り返すことができない、人知を超えた資源。それを味方につけることができれば、見え方は一気に変わってくる。
もう一つ、「期限を設定する」ことが有用であることの好例を挙げたい。自分が最初にデジタル・ミニマリズムを実践し始めたときのことだ。
当時の自分は「なるべくスマホを見る時間を無くそう」という漠然としたやる気だけを持っていた。序盤はそれで上手くいっていたが、徐々にスマホ触る回数は増え、いつしか普通にスマホを触るようになってしまっていたのだった。
一度そうして挫折した経験もあり、再度デジタル・ミニマリズムを実践し始めたときに「朝食を食べる間の30分だけはYouTubeでポッドキャストを聴いてもいい」というルールを導入した。今でもこれは続いていて、冒頭で言った「30分だけYouTubeを観る」とはこのことを指している。実際には聴いているだけではあるが。
大海を渡るには船やコンパスが必要だ。生身で海に飛び込むのが決して賢い手段でないことは、誰でも分かる。しかし、初めてデジタル・ミニマリズムを実践するとき、自分はやる気に満ち溢れていたが、一方で生身でもあった。だから溺れてしまったのだ。スマホの引力に。
以上の経験からも分かるとおり、noteを書くとき、デジタル・ミニマリズムを実践するとき、自分は「期限を設定する」ことで目標を達成してきた。そして、その「期限を設定する」ということは、言い換えれば「未来の自分を信頼する」ということでもある。
なぜなら、その「期限」というものは、「時間という取り戻せない資源を無駄にしない」という約束そのものであるからだ。
時間だけは、騙すことができない。だからこそ、期限を守るという小さな経験が積み重なるほど、「未来の自分も、きっと時間を大切に使ってくれる」という信頼が生まれていく。その連続する態度が、やがて自分自身のアイデンティティーになっていく。
「期限を設定する」ということは、「未来への信頼」であり、執筆というリレーにおいての確かなバトンでもある。そして、時には大海を渡るための船やコンパスのように、「期限」は目標へ向かうための具体的な道具になることも忘れてはいけない。
執筆を全くしたことがない人が初めてnoteを書くとする。どう書いたらいいかを聞いたとき、「まずはいい感じに構成を考えます」、「そしたらパパッと本文を書いてしまいましょう」と答えられたら、路頭に迷うだろう。自分に言わせれば、必要なのは「期限を設定する」こと、たった一つだ。ただし、天才的センスがある人は除いて。
「いい感じに」とか、「パパッと」とか、そういった曖昧な指標を用いることは、未来の自分に透明なバトンを渡しているようなものである。自分が「なるべくスマホを見ない」というやる気だけで実践した、初めてのデジタル・ミニマリズムが失敗に終わったのも、そう考えれば無理はない。
未来にしっかりとバトンを渡そうと思ったとき、人は自然と目標に対しての逆算を始める。結果として、目標達成は一歩、また一歩と現実的なものに近づいていくだろう。バトンを手に持ったのなら、あとは走って、未来の自分にそれを渡すだけでいい。それ自体が「未来の自分を信頼する」ということになる。
執筆を例に言えば、今日は構成、明日は本文、明後日は校正と加筆、といった具合に、工程ごとに期限を設定していくこと。さらに、それぞれの工程で具体的な作業時間や時間枠まで決めてしまうのもオススメだ。「10時から12時まで」、「起きてから3時間」といった風に。期限や時間設定が具体的であればあるほど、その時々で走るべき距離が明確になり、より行為に集中しやすくなる。
こうしてnoteを書いていても、今の自分はもう孤独を感じない。なぜなら、過去の自分から信頼されているからだ。もっと言えば、未来の自分からも信頼されていると思っている。このリレーにおいて、今の自分が手を抜くはずがない、と未来からも言ってくれているような気がするのだ。
日々、「自分を信頼してよかった」と心の底から思うことができている。始まりはただ「期限を設定する」ことだった。そしてそれに応え続けたことで「孤独なマラソン」は、異なる時間軸の自分たちによるチーム戦、つまり「リレー」になったのだ。
今日もまたバトンを繋いでいく。過去・現在・未来、すべての自分を信じて。